――放課後になった。
僕が鞄に道具を詰めようとすると、タッタッと軽い駆け足の音が近づいてきてた。
下に向けている視線に、踊るようなスカートの揺らめきが飛び込む。
「お兄ちゃん」
顔をあげると、理姫が後ろ手を組んで僕の机の前に立っていた。
今の理姫の笑顔はポカポカとした春の日差しみたいだ。
「ちょっと待っててね、今道具詰めるから」
「うん」
「まだ、お兄ちゃん?」
「いやいやっ、1秒も待ってないからねっ」
「ふふっ」
僕を待っている間も理姫は嬉しそうに体を揺らし、スカートが左右に踊っている。
「嬉しそうにしている女子を見るのもまた乙だな。そうは思わないか、理樹君」
突然僕の目の前に顔が現れた!
「わわっ来ヶ谷さん!?」
「いっ、いきなり顔を覗きこまないでよっ!?」
「前もって声をかけてから覗き込めば良かったのか?」
「覗き込む、って選択肢をなしにしようよ…」
「ならばこちらが好みか。耳ふーっ」
「ひゃぁっ!?」
今度は耳元に息を吹きかけてきた!
「やめてよっ!」
「はっはっは。なに、ただの挨拶だ」
「普通に挨拶しようよ!?」
「……」
う…理姫の目がすごく冷たい。
来ヶ谷さんが、すぐ近くにいる理姫に聞えない程度の声で囁いてきた。
「(理姫女史から離れてくれないか? 頼まれ物を持ってきてやったぞ)」
「あ…」
来ヶ谷さんには今日のことで頼みごとをしてたんだ。
「ごめん理姫、ちょっと待ってて」
「え…?」
「少々理樹君を借りるぞ」
「……」
「――これだ」
廊下に出て、来ヶ谷さんから2枚の映画のチケットを受け取った。
「ありがとう、来ヶ谷さん」
理姫が今流行っている映画を見たいと言ってたことを来ヶ谷さんに話したら、快くチケットをくれると言ってくれた。
僕は映画には詳しくないからわからなかったけど、来ヶ谷さんが言うにはその映画が今一番人気だそうだ。
いつもは「お礼は女装でいい」とか言うのに、今回ばかりは無償だなんて。
やっぱり理姫の誕生日効果かな。
「存分に楽しんでくるがいい」
「あはは…僕はちょっとそういうのは苦手だけどね」
来ヶ谷さんの話を聞くと、内容はホラー……それもかなりキツめらしい。
あの理姫がホラー好きだなんて。
「少年、怖かったら理姫女史に『抱きつかせてくれ、マイハニー』と言うんだぞ」
「抱きつかないよっ!」
「なんだマイハニーは否定しないのか」
「そっちも否定に決まってるでしょっ!」
教室に戻ると。
「……」
さっきまでのテンションとは打て変わって、頬を膨らませた理姫が立っていた。
「ど、どうしたの?」
「……」
「耳」
「え?」
手招きをする理姫。
「いいから耳かして、お兄ちゃん」
「いいけど…」
何かを小声で話そうとしている理姫の口に耳を近づけた。
「あのね……」
「ふぅ~っ」
「ひゃぁぁーっ!?」
耳ふーされたっ!
「り、理姫ーっ!」
「ふふっ、ごめんね。早く行こ?」
イタズラっ子のようにぺろっと舌を出して、理姫が廊下へと向かって歩き出した。
「早く、置いていっちゃうよ?」
もうっ!
たまに理姫の行動がよくわからないっ!
「チケットあるって本当っ?」
両手を胸の前で組んで、顔をパーッと明るくする理姫。
「うん、たまたまだけどね」
「とっても嬉しいっ」
そんなにはにかんだ笑顔で見られると……ちょっと恥かしいけど。
「お兄ちゃん」
そのまま見つめてくる理姫。
「……」
「……」
う…たぶん僕の言葉を待っている。
『お誕生日』の言葉を。
けど。
「な、なに? ど、どうしたの?」
「もう…」
笑顔のまま肩をすくめられてしまった。
――ようやく目的地の映画館に到着した。
僕は時計を確認した。
今から映画を見て……うん、ちょうどこの後の計画の時間的にも良さそうだ。
「大人2枚」
「チケットですねー。では、どこにお座りになさいますか?」
座席を見ると…お客ゼロ。座り放題だった。
「理姫、どこに座ろっか?」
「あれれ? 人少ないんだ…私はどこでもいいよ」
「じゃあ、真ん中の席2つで」
「はいー」
「はい、ジュース」
「ありがと」
シアターに入り、映画上映を待つ僕たち。
理姫が僕の席の隣に座ってキョロキョロとする。
「人気映画だと思ったんだけど、誰もいないね」
小さく首を傾げている。
「理姫がホラー映画が好きだなんて以外だったよ」
「え? ホラー?」
さらに首を大きく捻っている。
「うん。『死霊のハラワタ』だなんて」
「え、ええーっ!?」
――ガタタッ!
理姫がいきなり飛び上がった!
「ど、どうしたの!?」
「そ……っ」
「それじゃないよっ、私見たいのっ」
「えええっ!?」
「……違う映画だよ。恋愛物の」
これってまさか…。
また来ヶ谷さんにしてやられた!?
「お兄ちゃん」
クイクイと袖を引かれた。
「こ、こわい? その映画…?」
戸惑いの色が浮かぶ理姫の瞳。
「え…あ、うん。タイトルからいって」
「…そのね…私…あの…こわいのは…」
――ブーッ。
理姫の言葉の途中で明かりが落ちて、映画が始まった。
「嫌なら帰る?」
「……う……ううん」
「せっかくお兄ちゃんと来たんだし………………私、見る」
はぁ…。
変なところで強情なんだから。
『――シャワー気持ちいいわよ、リチャード。リチャード……?』
『チュミミーーーンッ!!』
「うわっ…」
「きゃっ…け、ケチャップ…ケチャップ…あれはケチャップ…」
ホラー映画だけあって、最初からすごいシーンの連続だ…。
僕ですら目を背けたくなってしまう。
『ダメよダミアン! ヤツが…ヤツがくるわっ』
『キュィィィィィィィィィン!!』
『キャァァァァァァァーーーーーーーーッ!!!』
「きゃぁぁぁーっ!!」
――ガバッ!
「えっ!?」
悲鳴と共に理姫が僕の腕に抱きついてきた!
目をつぶってスクリーンを見ないようにしている。
「…お、お兄ちゃん…っ」
震えてる…。
「だ、大丈夫だよ」
「……ふるふるふる……」
理姫は僕の腕をしっかりと掴み、目をギュッと閉じている。
腕に理姫の鼓動が伝わってくる。
「……」
「……」
「……お、おわった……?」
「ううん、まだ」
「……」
「……」
「……お兄ちゃん…っ」
「どうしたの?」
「お、おわった…かな…?」
「まだ」
「……ふるふるふる……」
…………。
……。
ようやく映画が終わった。
「……」
「あの…理姫?」
「……」
この2時間でやつれたんじゃないかな…。
「そろそろ、離してくれると嬉しいな…」
「……ふるふるふる……」
シアターから出た後も、理姫は僕の腕を離そうとしてくれない。
けど、まだ理姫震えてるし…。
これだと出歩けないよ…。
そんなことを考えながら時計をチェックすると、時計の針は恭介たちとの約束の時間に迫っていた。
「行きたいところがあるんだけど、いい?」
「……」
ギュッと腕に力が込められる。
「えっと……」
僕はポリポリとほっぺを掻いた。
「……歩きづらくなかったら、その…このままでいいけど」
「……ホント?」
僕の腕から顔をあげる理姫。
「腕…組んだままだよ? いいの、お兄ちゃん大丈夫…?」
「まだ震えてるしね」
「……ふふっ、ありがと」
うわっ!!
腕を組んだままそんな笑顔で見つめられると…妹とはいえ恥かしいっ!
「行こっか、お兄ちゃん」
「あ、ちょっと、ひっぱらないでよーっ」
急に元気になるしっ!
「――ブティックモール?」
「うん、ここにいいお店があって」
「けどここ、そろそろ閉まっちゃうよ?」
「大丈夫大丈夫」
「?」
今、僕たちがいるのは最近新しく出来たブティックモールだ。
目的地はこのブティックモールの喫茶店。
……ちなみに僕たちは今、手をつないでいるだけ。
さすがに兄妹で腕を組んで歩くのは恥かしくて。
理姫には「歩いてくれるって言ったのに……もう、しょうがないお兄ちゃん」なんて言われちゃったけど。
喫茶店のドアをくぐると、鼻をくすぐる甘いケーキの匂い。
「わぁ……すごい」
理姫はさっそくケーキのショーケースに釘づけだ。
「いらっしゃいませー、何名様ですか~?」
「2人です」
「はーい、2名様ご案内でーす! こちらにど~ぞ~♪」
ウエイトレスさんに案内されて席に腰を下ろした。
「何にいたしましょうかー?」
「私、何にしようかな…」
メニューをキラキラした瞳で見つめている。
「今日はですね、実はお客様にぴーったりなスペシャルメニューを用意してるんですよ」
僕を見ながらウインクするウエイトレスさん。
「お兄ちゃん、スペシャルメニューだって」
楽しみにするような視線を送る理姫。最近、目を見るだけで何が言いたいかわかってきた。
「じゃあ、それお願いします」
「はーい! スペシャル入りま~すっ」
「「「「は~~~いっ」」」」
店の厨房側からは、聞き覚えがある声が響いてきた。
「すごく雰囲気のいいお店だね」
「うん。僕も気に入っちゃって」
「けど、終わり間際だからかな…お客さん、私たちしかいないね」
店の中には他のお客さんはいなく、僕と理姫だけだ。
「夜になっちゃったね」
…時計の針はもう19時だ。
「今日はお兄ちゃんと二人も良かったけど…」
「本当はみんなも一緒がよかったなぁ…」
小さな声でそんなことを言う理姫。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
向かいに座っている理姫を見る。
「…………」
嬉しそうに僕の顔を見つめてきていた。
「……」
「……」
期待が篭った瞳だ。
「……ええっと……」
もちろんドモるのはわざとだ。
「今日ね、何の日か覚えてる?」
「ええと…」
「うんうん」
「海の日だっけ?」
「………………ちがう。やりなおし」
ぷぅ、と膨れる理姫。
「みどりの日だっけ?」
「それもちがうよ。全然ちがう。みどりの日だったから私を映画に連れて行ったの?」
「だったら建国記念日だっけ?」
「それもちがう」
「お兄ちゃん、絶対忘れないよって言ってくれたのに…」
ぷくぅ~とホッペを膨らませている。
……スネている理姫はとっても貴重だ。
「なら…えっと、文化の日だっけ?」
意地悪にさらに間違う。
「全然ちがうよ」
「お兄ちゃん、次、ラストチャンス」
「じゃあ…………」
――コトリ。
理姫の前にお皿が置かれた。
「――こちらのお客様からです」
「え、恭介さん…?」
持ってきた人物に驚いた後、理姫が目の前に置かれたお皿に目を落とす。
「これって……っ」
理姫の目の前に置かれたのはろうそくが18本立ったケーキ。
そこにはチョコレートでこう書かれている。
「お誕生日おめでとう、理姫」
僕は驚いている理姫に、最高の笑顔で、書かれている言葉と同じ言葉を言った。
「お、お兄ちゃん…」
さらにその瞬間。
「「「「「「おっ誕生日っおめでとぉーーーっ!!」」」」」」
――パァンッ! パパパァーン!!
後ろからリトルバスターズのみんながクラッカーを発射しながら飛び出してきた。
「み、みんなっ!」
「理姫ちゃ~~~ん、お誕生日おめでと~~~~……ほわっ!?」
ズベン。
後ろから元気一杯に飛び出してきた小毬さんがコケた!
「理姫さん、18歳のお誕生日おめで……うわわっ!?」
ズベン。
「むぎゅぅ」
さらに前を見ないで突っ込んで来たクドが小毬さんにつまづいてコケた!
「ぱふぱふぱふーっ! 姫ちゃんめでたいぞーっ! クラッカーもっとちょうだいって、ちょっとちょっとーっきゃぁーっ!?」
「むぎゅぅ」
ズベン。
さらにさらにサッカー応援用の小さいラッパを吹いていた葉留佳さんが小毬さんを踏んでコケた!
「ちょ、ちょっとみんな大丈夫!?」
「ひ、姫ちゃん、起こしてぇ~」
「むぎゅぎゅ~」
「わふっ!? 小毬さんがピクピクしてます!?」
「た、大変っ!」
……慌てて助け起こしに行く理姫。
うう…せっかくいい雰囲気になってたのに…。
「いいじゃないか、いかにもリトルバスターズっぽくて」
恭介にポンポンと肩を叩かれた。
「なんだこの有様は。何はともあれ、おめでとさんだ」
「……お誕生日おめでとうございます。では早速、女性が折り重なっている様子を一枚パシャリと」
さらに後ろから出てきて周りの様子に苦笑している来ヶ谷さんと西園さん。
「んだよおまえら、どいてくれねぇと料理が並べられねぇだろっ!」
「うわっ、真人のヤツがせーろんを言ってるぞっ!?」
「待て待ておまえら、まずはテーブルをくっつけないと食事が置けないだろう?」
最後は真人と鈴と謙吾が料理を持って後ろから出てきた。
あっという間に雰囲気のいい喫茶店も、いつものリトルバスターズの空間になってしまっていた!
「お兄ちゃん、もしかしてわざわざ私のお誕生日のために…?」
「たまたま恭介がこの喫茶店の店長と知り合いでさ」
「頼んでもらったら許可が取れたんだ」
「……それで…………理姫を驚かせようかな、なんて思って」
つい、恥かしくて理姫から目を背けてしまった。
「お兄ちゃん…」
「お兄ちゃんっ!」
――ガバーッ!
理姫が飛びついてきた!
「うわっ、ちょっ、り、理姫ーっ!」
「お兄ちゃん、ありがとーっ!」
「く、苦しいよっ」
「だって、嬉しいからっ」
ぎゅぅーっとしてくる理姫!
「ふふっ、そうだお兄ちゃん、これ」
抱きついている理姫がポケットから小さな袋を取り出した。
「これは……?」
「うん、実はお兄ちゃんが私に『お誕生日おめでとう』って言ったときに渡そうと思ってたんだけど…」
どうやら僕のせいで散々タイミングを外されてしまったみたいだ。
僕の手に乗せられていたのは、小さいけどラッピングされている袋。
「私、お兄ちゃんのお誕生日祝ってあげられなかったから」
理姫が僕から離れて、ニッコリと微笑んだ。
「遅くなったけど」
「お兄ちゃんもお誕生日おめでとう」
「…理姫…」
「なんかこいつら、ラブラブだな」
ボソッと鈴。
それを皮切りに。
「うわぁ~、理樹君に理姫ちゃん、おめでと~」
「なかなかお似合いのカップルなのですーっ」
「いやー、こーゆーのなんていうんだっけ? 近親うんちゃら?」
「……障害は多いかと思いますが、頑張ってください」
「ちょっと待てっ! 理樹はオレんだぞっ!?」
「む、無念…お、男なら笑顔で見送ってやるべきだ、真人」
「俺はくっついた二人を両方ゲットさせてもらうぜ!」
「きしょいんじゃ、馬鹿兄貴はっ!!」
ゲシーッ!
「ぎゃああああああっ!!」
鈴の一言から妙な勘違いが生まれちゃってるしーっ!
「こんなに嬉しい誕生日は初めて」
「なら良かったかな」
思い出に残る誕生日になってくれたかな…。
「ふふふっ」
準備をしたりふざけあったりしているみんなを見る理姫の目は楽しそう。
……うん。
作戦、大成功だ。
食後の話。
「恭介、喫茶店まで貸切にしてくれてありがとね」
「感謝してもしきれないよ」
「いやなに、俺はなにもしてないさ」
「後はおまえの頑張りだろ」
「…?」
「あれ、おまえに話さなかったっけ?」
「なにも聞いてないけど」
「次の休日、おまえが一日中ここのウエイトレスをするって約束で借りたんだ」
「……え、え、ええええーっ!?」
「安心しろ、理樹」
「…?」
「店長にはおまえのこと女だって言ってあるから。制服も用意したそうだ」
「そこじゃないでしょーーーっ!!」